俺のぶらぶら日記

ぶらぶら行く当てもなく。。

食生活は急速に変化

東京区部の面積六万一三〇一ヘクタール中、農地はわずかに一四六〇ヘクタール、二・三八%にしかすぎないのである(一九九〇年二月)。いくら単位面積当たりの収量が増加しても、これでは八〇〇万区民の食料を賄うことはできない。農村は、都市に食料を供「出」し、都市はこの食料を農村から受「け取る」のである。この意味で、集合体なのである。が、これだけではない。今、国際分業の視点から、食料品が外国から多数輸入されるようになったのだ。確かに日本人の食生活は、過去、外国との交流によって幾度か変遷の経過を辿ってきた。ここで食の変遷を駈足で追いかけてみよう。縄文・弥生時代には、狩猟や漁労による肉や貝、農耕による米、雑穀、野菜などが主な食物であったが、大和・飛鳥・奈良・平安時代になると百済高句麗との交流により果物、酒、野菜類の塩蔵法が伝わり、奈良時代には、唐からバター、味噌、砂糖、唐菓子餅(、煎餅、鰻頭)等が伝えられ、上流階級の間に広まった。鎌倉・室町時代では、外国との交流が衰退し、また江戸時代は、鎖国政策が採られたため、食生活上でも大きな変化は起きなかった。幕末、開国とともに食生活は急速に変化した。とうもろこし、じやがいも、豆類、たまねぎ、カボチャ、にんじん等西洋の食物が多くなった。